付箋を3か所貼った。
生きている事。生きている事。
ああ、それは、何というやりきれない
息もたえだえの大事業であろうか。
(中略)
僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、
生きにくいんです。生きて行くのに、
どこか一つ欠けているんです。
足りないんです。
いままで、生きて来たのも、
これでも、精一ぱいだったのです。
(斜陽)
人間は、
何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、
それでも、堪えて、そ知らぬふりをして
生きているのではないのか。
(火の鳥)
数年後・数十年後にこのブログを読み返したとき、
初めて太宰治を読むのかもしれない。
次も太宰。
私は人に接する時でも、
心がどんなにつらくても、
からだがどんなに苦しくても、
ほとんど必死で、楽しい雰囲気を
創る事に努力する。そうして、
客とわかれた後、私は疲労によろめき、
お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。
(斜陽)
最後はもととなるラジオ番組内での会話より
幸福を感じやすいというのは、幸福ではないことなのかもしれません。