Sudo Haikuにも書きましたが、もっと書きたいので

 

h.sudo.ne.jp

というエントリーを作成しました。

その動画がこちら。


www.youtube.com

動画で仰っている内容について不満はありません。

それどころか"おっしゃる通り"です。

 

ただ、正論ならば正義なのか

ここに数学という学問が持つ「たのしさ」と「蛇蝎レベルで嫌われる」が

存在するのかな、と。

Sudo Haikuでも触れましたが、幼い頃に学んだ"算数"という授業では、"="は

その左側にあるものと右側にあるものとが同じであることを学びます。

ところが”数学”という授業では、知覚的に異なるものを理屈で同じものにする

授業が多々あるんですね。

これが嫌われる。

な ぜ 同 じ に す る の か 説 明 し な い か ら。(教え手が理解していないから)

知覚/感性を理屈で有耶無耶にしてしまうから。

心のない授業/人というものに寄り添っていない授業 で終わってしまうから。

 

教え手が教わったことを、ただ伝える授業/学問に面白さが存在するはずもない。

 

数学を学んだことで、面白さを感じた事例を2つ。(他にもあるでしょうが記憶にない)

1:競馬

あの馬を馬券にからめたい、あの馬もからめたい。何通りあるの?(馬券をどれだけ買えばいいの?)

数学のジャンルの一部を学べば、すぐ計算できます。

これは役立ちました。

 

2:高校の世界史の授業で

昭和生まれなので、1クラス45~48人くらいでした。

教師曰く、誕生日が同じ生徒がいるかいないか賭けよう(賭けの商品は他愛のないものだったと思います)

高校生だもの、いないに賭けますよ。で、賭けに負ける。

30年以上前の記憶ですが、手計算すると97%とか98%くらいの高確率で誕生日が同じ生徒がいることになるんです。

 

結論:

何でもそう。学問も趣味もスポーツも。裾野が拡がらないとダメ。

 

追記:

はてな記法を全く覚えてない。脚注の作り方も忘れた。